祭のマナーと作法 盂蘭盆会(お盆)

盂蘭盆会(お盆)

「盂蘭盆会」つまりお盆(盆祭)は、先祖の霊を寺や墓から家に迎えて手厚く供養する行事で、彼岸と並ぶ仏教行事となっています。もともと正月と同様に一年の中間(中元)に祖霊の来臨を願う昔からの風習で、盆の行事とは関係ありませんでした。
正月に歳徳神を迎える恵方棚を飾ったように、精霊棚(先祖棚)を用意して神の御魂や先祖の霊を迎える風習はのの名残りです。そのため、「魂祭(たままつり)」「精霊祭(しょうりょうまつり)」「精霊会(しょうりょうえ)」という呼び方があります。
この風習が中国仏教の行事と混ざり合って今日の「盂蘭盆会」となりました。
「盂蘭盆会」とは、仏教が誕生した古代インドのサンスクリット語、つまり梵語のアヴァランバナから転化したウッランバナを音写した言葉といわれますが、否定する学者もいてはっきりとしていません。アヴァランバナ(ウッランバナ)は、「ぶら下げること」「吊るすこと」という意味で、インドでは特別な意味はなく、また盆にあたる行事もありませんし、経典もありません。
ところが、六世紀中頃、中国で「盂蘭盆経」がつくられて梁武帝が盂蘭盆会を行ないっていました。この「盂蘭盆経」は竺法護という人の訳となっていますが、不思議なことにインドには原典がありません。どうやら盆は中国で生まれた行事のようです。
「盂蘭盆経」によると、釈迦の弟子の目連が、死んだ母親が飢えで苦しむ餓鬼道に落ちて逆さに吊るされているのを知って、なんとか救いたいと釈迦に願い出、そして釈迦の教えに従い、七月十五日に供養して母を救ったといいます。この故事が盆の行事の始まりになったといわれます。母親が逆さに吊るされた状態が盂蘭盆で、、仏教用語では「倒懸」と訳されています。
盂蘭盆会が日本に伝来したのは七世紀のことで、推古天皇が七月十五日斎会を設けたのが始まりといわれますが、盂蘭盆会という形では、六五七年に斉明天皇が行なっています。
この盂蘭盆会の行事がやがて民衆にも拡がり、もともとあった魂祭の古い習俗と結びつきました。寺院でも盂蘭盆会が行なわれるようになり、真宗を除いて施餓鬼供養が営まれ、追善の供養も併せて行なわれるようになりました。

盆の時期と準備

盆の時期は、地方によってさまざまです。陰暦、新暦、また月遅れで行なわれるところもあり、だいたいは七月十三日から十五日までの三日間で、十六日までずれ込む地方もあります。場所によっては、九月一日にします。
また、七月一日を釜蓋朔日(かまぶたついたち)と呼び、地獄の釜の口あけの日として、この日から門火を焚くところもあります。
また「七日盆」といって、七日に盆花迎え、盆道作り、墓掃除をする地方も多いようです。
祖霊は天からいったん山の頂に降臨してから、桔梗や萩などの盆花に宿ると昔から信じられ、やがて現実的になって墓からやってくると考えられるようになりました。盆花は、桔梗、萩のほか、おみなえし、山百合、ほおずきなどがあります。
祖霊が宿った盆花を迎え、山の頂から自分の家までの道の草を刈り、掃き浄める「盆道作り」をする風習がありました。現在でも、墓から家までの道を浄める「盆道作り」の風習が残っている農村もあります。「刈り道作り」ともいいます。
前日の十二日には草市が立ち、盆に必要な飾り物や野菜、盆花などが売られてるところもあります。

精霊棚

盆行事が始まる十三日の朝、先祖の霊を迎える「精霊棚(しょうりょうたな)」を用意します。「盆棚」とも「先祖棚」ともいいます。経机に白い布をかけ、床の間や仏壇の前に置き、仏壇の扉はしめておきます。
経机の上に簀(すのこ)や真菰(まこも)を敷き、中央の奥に位牌を安置し、仏花、香炉、鈴(鉦)を配して、初物の野菜、果物、そうめん、白玉だんご、水鉢などを供えるのが、古くからのしきたりです。また、どんぶりに米や賽の目に刻んだ胡瓜や茄子を入れる風習もあります。それにナス馬、キュウリ牛が供えられたりします。
供え物の茄子や胡瓜に麻幹(おがら)〔麻の茎〕や割箸で四本の足をつけて、とうもろこしの毛をしっぽにして牛や馬の形にしたものが、ナス馬、キュウリ牛です。これは、祖霊が馬に乗って訪れ、牛に荷物を積んで帰ると信じられているからです。
また、かぼちゃをくり抜いて提灯に見立てる風習もあります。
だが最近では、「精霊棚」が省略され、代わりに仏壇を掃除して花や供物を供えることが多くなりました。

迎え火から送り火まで

十三日は盆行事の始まりの日で、「迎え盆」「精霊迎え」「魂迎え」などと呼び、夕方、墓や家の門前、玄関口で麻幹や(おがら)や樺皮(かばかわ)を焚きます。これが「迎え火」で、家に迎える精霊が道に迷わないようにという意味があります。
盆の期間は、家族と同じ食事を三度三度供えます。なまぐさもの(魚など)は避けて、精進料理にしますが、この風習はすたれかかっています。一方、両親をはじめ家族がすべて健在で、いわゆる新盆(あらぼん)のないめでたい盆は、「生き盆」「吉事盆」あるいは「生き御魂」と呼ばれ、親の長寿を祝ってなまぐさものを食べる風習もあります。これは仏教行事となる前の古い風習の名残りです。
期間中は「精霊棚」に、なければ仏壇に灯明は欠かせません。墓参りをするしきたりもあります。
また、家族の誰かが亡くなって初めての盆、つまり新盆に限って、白張りの盆提灯や切り子灯籠を飾り、親類、友人、知人を招いて供養をします。地方によっては盆提灯を贈る風習もあります。また菩提寺の僧侶に読経をしてもらい、これを「棚経」といって、僧侶には黒白の結び切りの水引をかけた不祝儀袋に「御経代」または「御布施」と表書きをした読経料を包みます。また、三回忌、七回忌などの重要回忌の年にも読経を依頼します。
十五日は精霊を送り出す日で、「送り盆」「精霊送り」「魂送り」ともいいます。「迎え火」と同様に「送り火」を焚いて精霊を送り出します。地方によっては十六日の夜に行なわれます。
月遅れの八月十六日(昔は陰暦七月十六日)に京都東山の大文字の中腹で焚かれる「大文字の火」は、巨大な「送り火」(施火)です。
今では、大北山の左大文字の「大」、松ヶ崎西山・東山の「妙」「法」、西賀茂明見山の「船形」、上嵯峨水尾山の「鳥居形」があり、「五山送り火」と呼ばれ、京都の夏の風物詩になっています。

精霊流しと盆踊り

十五日の夜か十六日の朝、「精霊流し」といって、供物を海や川に流して精霊を西方浄土に送る行事が行なわれます・藁や麻幹で作った小さな舟に供物をのせ、灯をともした燈籠を添えて流します。地方によって大型の船を共同で作って盛大に行事を行なうところもあります。この舟を「流し舟」「精霊船」などといいます。
川沿いの地域では「燈籠流し」が盛んで、四角の板切れに四本の柱を立て、紙を張りめぐらして中央にろうそくを立て、灯を灯して流します。無数の燈籠が水面に影を写す光景は、夏の風物詩でしょう。
盆踊りも精霊供養の行事のひとつで、精霊を踊りで迎えて歓待し、踊りに巻き込んで送り出すのが本来の意味です。もともとは行列式がほとんどです。行列を組んで町を練り歩く徳島県の阿波踊り、岐阜県の郡上踊り、富山県八尾の「風の盆」などはその名残りです。
最近は、寺や神社の境内や広場に櫓を組み、そのまわりを回って踊る輪舞式が多いようです。

祭のマナーと作法

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